私が人生を終わらせようと思った理由 No.1


目次

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introduction

  1. 内容は重い話が含まれています。なので、記事を読む際は自己責任でお願い致します
  2. 自己満足で書いているので、どうか温かい目で見て頂けると嬉しいです
 

self introduction

初めまして、RARO と申します。19歳のこれまでの人生を書き綴っていこうと思います。

この記事が私の中で生きている証になれば良いなと思いブログを始めてみました。

 

登場人物

自分:RARO

親:父 母

弟:けい

元彼:しょう

彼氏:あきら

親戚:祖父母・従兄弟家族

⚠️実際の名前ではありません⚠️

 

第一章:出会い

高校2年生の7月ごろ(RARO当時16歳)、気温が上がってきて夏の到来を感じる季節に私はしょうという一人の男性と出会いました。

私が趣味で、たまに絵を描いたりしてTwitterに投稿していたことがきっかけとなり、しょうとはそこで出会ったのでした。

しょうは私が投稿したイラストのツイートにコメントをしてくれた一人で、DMで話をしていくにつれ、意気投合し、関係は恋人へと発展していきます。

私と出会った当時、しょう(しょう当時20歳)は一人暮らしをしていましたが、ある日、ふと、過去の、しょうが経験してきた家庭環境を話してくれました。

その内容は、小さい頃に両親から捨てられ、おばあちゃんに育てられてたという過酷なものでした。

しょうのおばあちゃんは重度のアルコール依存症で、それに加え暴力的な部分もあったそうです。

わたしは一度も会ったことがないですが、しょうにはお兄ちゃんがいたそうで、お兄ちゃんは両親の元で育てられていて、しょうが頼れるのはおばあちゃんと親友だけだったと話してくれました。

しょうは優しい人で、過去の経験を踏まえアドバイスをしてくれながら、私の愚痴などをよく聞いてくれていました。

よく話を聞いてくれる人だったので、友達にも話していないようなことも話すようになりました。

しょうと出逢い、会話を重ねていく事で、私は徐々に自分の家族がおかしいのではないかと思い始めるようになりました。

 

第二章:わたしの両親

私の父は、仕事で疲れたり給料日前のお金に余裕がないときなど、精神的に疲れているとき、いつも機嫌が悪く「夜ご飯の味付けが薄い!!!」など全く関係のないことで怒りだし、ご飯をひっくり返したり、怒鳴りだしたりするような性格でした。

特別機嫌が悪い日には、仕事帰り車で事故を起こしたり、髪を引っ張られたり、暴言を言われたりしていました。

父自身も壮絶な過去が有り、育児放棄をされ小学生の時にホームレスの経験があったり、父が16歳の時にはビザだけ渡され海外に置いて帰られたり、父のお母さん(私からみた父方の祖母)は父の目の前で自殺未遂をしたりする人だったり、父の結婚前の彼女だった女性は海外で殺害され亡くなっていたりします。

そのトラウマから家族の中の誰かが体調を崩したり、泣いていたりすると、心配を通り越して極度な不安感から怒ってしまう人でした。

なので、父が怒っているときはひたすらに耐え、影で泣くことしかできませんでした。

一方母は、父親と弟に隠れて借金をしていました。

重度のギャンブル依存症で、パートを月の半分休んではパチンコに行ったりしていました。

家のお金の管理は父がしていたのですが、父には隠して仕事を休んだりしていたので、毎月の足りない分の給料を借金して埋めていました。

その借金をする際、自分のお小遣いとして少し多めに借金をしていたみたいです。

借金なので、翌月には借りた分をもちろん支払いしないといけないですが、仕事を月半分も休んでいるので、もちろん支払いができる目処はありませんでした。

そこで母が取った行動は、別の金融会社やクレジット会社から借金をして返済をするという、借金を借金で埋めることでした。

そんな行動をずっと続けていた結果、金融会社3社とクレジット会社6社に借金を抱えることになり、利息もどんどん膨らんでいき、家を一軒買えるほどの額になりました。

私がなぜ母の借金を知っていたかと言うと、借金の額が膨らみ過ぎて、父には怖くて相談できないからと、「助けて欲しい」と話を聞いていたからでした。

母の借金を知った当時私は15歳だったので、借金の事をよく分からないままとにかくお金が必要で困っているんだなと、そんな軽い認識でした。

両親とも、過保護なところがあり、私は友達と遊びに行く事すらあまりできず、自分の部屋の家具の配置などは「お前が何しているか分かるように」と言われ家具の位置の指定をされ、ドアを閉めるのも禁止でした。

時には私の部屋で親が一緒に寝たりしており、友達と電話をするにしても会話を聴かれる環境だったので電話もほとんど出来ず、スマホを見ていれば、何をしているのか逐一聞かれるような状況でした。

なので、人に相談する事もほとんどすることができませんでした。

 

第三章:人生が壊れはじめていた時期

母から「助けて」と言われていたので、私はまずバイトを始めてみました。

バイトを始てみたものの、父親の扶養内でバイトをしなければならなかった事と、看護の高校だったので勉強する時間も必要で、あまり稼ぎは良くありませんでした。

ただ、借金の額も大きく母も切羽詰まっていたのが現実で、私はバイトに加え援交をして母にお金を渡すようになりました。

援交は私にとって辛く苦しいものでした。

見ず知らずの大人の男性と会う度、心が壊れていくような感覚を覚えながらも、そうする以外私は何もできなかったのです。

時にはお金を払わず逃げる大人、飲み物に違法な薬を混ぜる大人、拘束して逃げられないようにしてくる大人、妊娠をさせようとしてくる大人、盗撮をしていた大人もいました。

恐怖と不安と体力の限界で、この時から私は人生を終わらせてしまいたいと思っていました。

お金が渡せなければ、母は「もう死にたい」と言い出し、父に相談しようと思っても、怒らせるのではないかという恐怖感と、あまり精神的な負担をかけさせたくないという思いから、ただひたすらに頑張ることしかできませんでした。

私はまだこの時点では、家庭がおかしいことに気づいていなかったのです。

友達にこんな話をすることはなかったし、義務教育で家庭内DVの勉強があったりしても、自分が授業の内容に当てはまると思っていなかったんです。

 

to be continued