私が人生を終わらせようと思った理由 No.2


目次

introduction

  1. 内容は重い話が含まれています。なので、記事を読む際は自己責任でお願い致します
  2. 自己満足で書いているので、どうか温かい目で見て頂けると嬉しいです

self introduction

初めまして、RARO と申します。19歳のこれまでの人生を書き綴っていこうと思います。

この記事が私の中で生きている証になれば良いなと思いブログを始めてみました。

登場人物

自分:RARO

親:父 母

弟:けい

元彼:しょう

彼氏:あきら

⚠️実際の名前ではありません⚠️

第四章:気付きはじめ

しょうと出会ってから少し時間が経ち、9月下旬、紅葉が綺麗な季節になってきていた頃、家族の愚痴を溢すにつれ、しょうから「人の家庭に口出しはしたくないけど、おかしいんじゃない」と言われることが増えるようになりました。

「RAROの家族普通じゃないよ」と言われるようになった事をきっかけに、少しづつ自分の家族は普通とはちょっと違うのではないかと思い始めるようになりました。

ですが、家庭内のDVや金銭の搾取がどの程度からアウトなのかのラインが中々難しくて、辛い苦しいとは思っていても本当に自分の家庭がおかしいか、なんて分からなかったんです。

生まれ育った環境が普通じゃないとは中々自分では気づく事ができないのです。

少しづつ意識し始めるにつれ、自宅に帰ることが私にとって辛いことに変わっていきました。

学校が終わったり、バイトが終わる時間が来るのが怖くなって、お腹を下すようになったり、呼吸の仕方が分からなくなったりするようになり、体に変化が出てくるようになりました。

体の変化といろんな不安感から自宅に帰る時間が徐々に遅くなっていったのですが、帰宅時間が遅くなると両親が機嫌が悪くなる日も増えて、悪循環になるようになりました。

そんな悪循環を続け、毎日その場しのぎの日を重ねること数ヶ月たち、私にとって人生最大の分岐点となった、高校2年生(当時17歳)の1月上旬、冷たい小雨が降っている夜を迎えることになります。

その日は特別父親の機嫌が悪く、私が帰宅したときにはもう父親が暴れた後でした。

リビングやキッチンの物は壊れ、食器が割れた物たちで床が埋まっていました。

私の部屋のものは全て外に投げ出され、教材、寝具、家具、洋服、などありとあらゆる物が雨に濡れ、泥で汚れ、使い物にならないものもありました。

無惨になげすてられた物を見て私の中で、何かが切れ、父親に一言「出ていく」と、母親と弟のけいに「見捨ててごめん、助けられなくてごめん」と涙が溢れそうになるのを堪えながら伝え、家を飛び出しました。

第五章:1回目の家出

真っ先にしょうに連絡をし、すぐに返事がきて「怪我はして無いか?すぐ迎えに行く」と言ってくれ、夜遅くに電車で40分かけて迎えに来てくれました。

その40分間私は、ただただ建物の影に隠れ、しょうが来てくれるのを待っていました。

次第に雨は止み、私は少しづつ冷静になり、涙を堪えて夜の街をひたすらに練り歩いて時間を潰していました。

しょうが迎えに来てくれた後の記憶は少し曖昧だけれど、その時気を紛らわすために聞いていた曲はよく覚えています。

迎えに来てくれた後、私の家から少し離れた駅までタクシーで移動し、電車に乗り換え、電車に揺られながらしょうの自宅へと向かいました。

当時私は17歳で、しょうは成人済みだったのですが「俺は捕まってもいいから助ける」と言って迎えに来てくれたのがすごく嬉しかったのを今でもたまに思い出します。

家出をした当時、私は高校2年生の終わりかけでバイトもしていたのですが、その日を境に高校に行く事をやめ、バイトにも行かなくなってしまいました。

バイトは事情を説明し退職し、高校はありがたいことに、通っていた高校の中で、通信制の科を作ろうと検討していたようで、試しにと「テストを高校三年生まで郵送するから、それで成績を残すことができたら高校三年生への進学と高校卒業を許可する」と言ってくださったので、高校に在学し続けることができました。

結局、私は1ヶ月間の家出の後、家族の元へと帰ることとなります。

第六章:しょうの家にいた1ヶ月間

私は、警察に捜索願いを出されるのではないか、しょうが捕まってしまうのではないかとハラハラしていましたが、後にけいから聞いた話で私が家を飛び出した直後の夜、両親は私を探すどころかタバコを吸ってそのまま次の日仕事だからと普通に寝ていたと知りました。

しょうと過ごした1ヶ月間は楽しくもあり、苦しくもありました。

しょうが仕事に出ている一人の時間、私はフラッシュバックを起こすようになり、寝て起きては家族のことを思い出しパニックになる生活を送っていました。

気晴らしをするために、しょうはよく私を外へ連れ出してくれ、今までの生活で常に考えていた帰る時間も親の機嫌も、考えることなく素直に楽しめる時間でした。

楽しい時間があれば苦しい時間もやってくるもので、楽しい時間だけが続いてくれることはありませんでした。

私は、家族のことを憎んだり恨んだり嫌いになることができなかったのです。

今まで、普通だと思って接してきた家族で、嫌な思い出もあるものの、親が機嫌がいい時はみんなで笑って夜ご飯を食べて、たまに両親とお出かけしたりドライブしたりして過ごしていた時間が私にとっては幸せな記憶で、家族の嫌な部分だけを見る事ができず、私の中では変わらず家族が本当に大切な存在でした。

家出をして、家族の嫌な部分を見る機会が減ると幸せだった家族との記憶を思い出すようになり、次第に「私はみんなを見捨てて、なんてことをしてしまったんだ」と自分を責めるようになりました。

そんなある日、母親から連絡が来ました。

「このままで本当にいいの?ちゃんと話し合いしたいから、一度二人きりで会って話そう」という内容でした。

自分を責めるようになっていた私にとってすごく刺さる連絡で、ラインでやりとりをし、日時と場所を決め、後日母と会うことになりました。

to be continued