私が人生を終わらせようと思った理由 No.3

 

目次

introduction

  1. 内容は重い話が含まれています。なので、記事を読む際は自己責任でお願い致します
  2. 自己満足で書いているので、どうか温かい目で見て頂けると嬉しいです

self introduction

初めまして、RARO と申します。19歳のこれまでの人生を書き綴っていこうと思います。

この記事が私の中で生きている証になれば良いなと思いブログを始めてみました。

登場人物

自分:RARO

親:父 母

弟:けい

元彼:しょう

彼氏:あきら

⚠️実際の名前ではありません⚠️

第七章:母との話し合いを経て

母との話し合い当日、私は母の元へと向かいました。

少しだけ、父がもし話し合いの場にいたらどうしようと緊張していたけれど、約束通り母は1人で待っていてくれました。話し合いの場所は「公共の場で話すことではないから」と、父が仕事で家にいない時間を見計らって、実家での話し合いでした。

母は泣きながら「もうママはRAROが死んだと思って今後、生きていかなきゃならないの」と話を始めました。その後はずっと「家族のことが本当に大事で大切だから、帰ってきて欲しい」「パパも、もう怒っていないしパパはRAROがいなくなって陰で泣いていたんだよ」というような内容を3時間くらい嗚咽混じりに話してくれました。

私は正直この時、嬉しさと疑いで複雑な気持ちでした。

家がおかしいかもしれないと思い始めてから家出をするまでの約半年の間、私は何も伝えてなかったわけではなく、「こういう事が辛い」「こういうのは今後しないで欲しい」「精神的に辛いから近くで話せば嫌でも聴こえるなんて言わないで、理解してちゃんと話を聞いて欲しい」とずっと言ってきていました。それでも家族は「RAROは高校生で思春期だから周りが過剰に言ってる事を鵜呑みにしているだけだ」と取り合ってもらえていなかったのです。

この時私は親の考えていることが分からなくなっていました。

「両親は過保護すぎるところがあるし、機嫌が悪くない時は向き合ってくれたり、一緒に話したり出かけたりするから愛されてないわけではないよね?」という感情と「何も私はしていないのに、どうして暴力を振るわれたり罵声を浴びせられたり、体を売っているのを知っていてお金を取っていくんだろう」という感情で入り乱れていました。

それでも私は家族が大切だったので、泣きながら訴えてくる母親を見て、私のせいでこんなに悩ませて泣かせてしまっているのだなと思い、申し訳なさと「親に愛されていると信じたい」という気持ちで実家に帰る事を決めました。

その日は一旦しょうの自宅へと帰り、しょうに話をして荷物をまとめ、後日実家へと帰りました。

第八章:家出から帰ってきた

家出から帰る際、私がいなくなって両親が泣いていたことを事前に知っていたので、「少しは私が今まで伝えてきた気持ちを理解してくれているといいな」という、淡い期待を抱きながら電車に揺られ帰りつきました。

そこで待っていたのは私の期待をいとも簡単に崩すものでした。

私が帰ってきた当日、父は機嫌が悪かったのです。

私は帰り着いた後、迷惑をかけたことと家出をしたことをひとまず謝りました。

その後に家出をした理由、私がこれまで思っていたこと、自分の体にも支障が出始めていることを話しました。

そこで私が言われたのは「反省して帰ってきたと思ったのに、何を言ってるんだ」「体に支障が出始めているのは甘えだ」と言われ、父親をさらに怒らせてしまいました。

怖かったけれど、ここで萎縮して何も伝えなかったら今までと何も変わるはずがないと思い、私なりに精一杯伝えました。

結局、父は暴力的になり、売り言葉に買い言葉だとは思いますが「お前は奴隷だ!!!!」と言われ、馬乗りされ首を絞めようとしてきて、弟のけいも、まさかの父親に協力する体制となり首を絞めてきたのでした。

母は隣で「やめて!!!!」とずっと泣き叫んでしました。

私はこの時、だいぶ疲れていたのか、悲しさよりも、やっと全てを投げ出せるという安心のようなホッとした感情になっていました。

今となっては家族に殺されかけたという辛い記憶に変わっています。

何時間か言い合いと取っ組み合いをし、気が済んだのか父は自室へと戻り寝ていました。

私は泣きながら、倒された襖や散らかってしまったものを片付け、母が怪我をしていないか、投げ飛ばされた時に頭を打っていないか確認をしてから、私は自分の部屋へと向かい毛布に包まりながら自分の事を責めることしかできませんでした。

第九章:帰宅後

次の日、父は私に普通に話しかけてきて、いつも通り接していました。

私の感情は「昨夜あんな事があったのになんでそんな平気な顔ができるの」というモヤモヤで埋め尽くされていました。

父はいつも暴力的になった次の日、必ず自分がしてしまったことを反省していました。反省した上で普通に接してくるのでした。

私は父が後悔し反省していることも知っていたので、なんとも言えない気持ちを抱えながらも笑って普通に会話をしていました。

それから数日がたって少し落ち着いてきた頃、母親の借金が父親にバレるという事件が起こりました。

督促状がポストに入っていたようで、たまたまそれを父親が見つけ、私の家庭は家出をする前よりも悲惨な状態へとなっていきました。

督促が来ていた分の支払いは父親がこっそり貯金していたお金で全額支払い、他の支払いは父親が残業を規定ギリギリまですることで補って行くようになりました。

残業を多くするようになった父親は、疲れと母親の借金で悩み、機嫌が悪い日がかなり増えていきました。

次第に両親は夫婦喧嘩が多くなっていき、家族全員が「自宅は休まるものではない場所」へと変わっていくのでした。

私は借金が父親にバレた当初、「父親が母親を助けてくれるみたいだから私はもう辛い事をしなくていい」と、安心していました。

ですが、私が期待していたようなことにはならず、父からも金銭を請求されるようになったのです。

父は援交をしていることは知らなかったのですが、バイトをしていることは知っていたので、少ないとは言えないほどの金額を父にも渡すようになりました。

しょうも私を助けようとはしてくれたものの、人の家庭に入り込んで誰かを助け出すのはかなり難しいことでした。

私はここから地獄が続くようになりました。

to be continued